ホーリーとChatGPTのブログ

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エキセントリック・スーパーアプリクリエイター / 総DL数: 200万 / リリース本数: 100本超 / iOS: http://apple.co/3m3HxSm / Android: http://bit.ly/3ma0liZ / Just release and pray / とにかくリリースしてあとは祈れ / Twitter: https://twitter.com/gevvoihorry

自分が思ったようにやりたいのか、それとも売れたいのか

 

「自分が思ったようにやりたい」のか、それとも「売れたい」のか。

これは仕事をする上で重要なテーマだ。

 

「売れる」の定義は「金銭的に不満のない状態」とでも言えばいいのか。

とにかく最低限欲しい額を稼げてれば、「売れる」ないし「売れてる」としよう。

 

自分のアプリで言えば、売れるまでに時間がかかった。多分5年はかかったと思う。

何をきっかけに売れたかと言えば、それは自分を捨てたことだ。

自我や個性を捨てて世間に合わせたら成功した。

 

自分の思ったようにやって売れるのであれば、それが最高だ。言うことない。

しかし私の場合はダメだった。自分のやりたいようにやっても結果は出なかった。
それで世間のニーズ(需要)と競合アプリ(供給)に目を向けて、やっと上手くいった。

 

もちろん、自分の個性を全く出してないわけではない。ただ自分と世間の対比は20:80とか、そんなもんだろう。

自分の気持ちは2割。あとは全力で世間に合わせにいってる。

 

サラリーマンでもフリーランスでも経営者でもいいが、金銭的に結果が出ないときは、自分勝手に振る舞ってると解釈していいだろう。

自分のやりたいようにやってるから、結果が出ないのだ。

 

売れることを念頭に置き、自分と世間のバランスを見直せば、結果は付いてくる。

極論だが、ニーズがあって競合他社よりも評価されるものを出せば「売れる」のだ。

 

だから、金銭的に結果の出てないときは、自己中になってると認識していい。

自分の気持ちを優先させすぎてて、世間が見えてないのだ。世間から相手にされてない。

 

自分が思ったようにやりたいのか、それとも売れたいのか。

ここは常に自問自答したほうがいいだろう。

 

もちろん、どちらを選ぶかは本人の自由だ。

だが私はまず先に売れたかった。

 

課金シフト考

 

最近Webメディアに出てくる広告が異様に多い。

そのへんの「ちゃんとしてるだろうサイト」を見ても、エロサイトのそれと見分けがつかないくらい広告が表示されている。

これは恐らくPVの現象が主な原因だろう。広告単価の下落もあるだろうが、それ以上にサイト自体が見られなくなってるので、収益化に苦しんでる証拠だと思っている。

 

さらに今年の後半にはChromeサードパーティCookieが使用できなくなるアップデートが来る。

こうなるとトラッキングが効かないので、広告単価はさらに下がるだろう。

予想でしかないが、Webメディアは運営が立ち行かなくなるところも、結構出てくるのではないだろうか。

 

もちろんWebメディアだけではない。最近はブロガーやアフィリエイターも死滅している。

体感だが、こっちはすでに99%終わってしまった感がある。

 

簡単に言えば、Google検索で個人サイトが表示されなくなったのが原因だ。

Googleのコアアップデートが来るたびに、個人のサイトは下がっていった。

それが4〜5年前からあったと思うが、いよいよ終わりが近い印象だ。

 

つまり、広告で食べていくのが難しくなってるのだ。

広告に頼った事業は、これから先難しいだろう。

どうしたって、みんな課金を導入せざるを得なくなる。

 

しかしそこで問題がある。例えばテック系の記事を書いてるブロガーがいるとする。

この人の記事を月額払ってまで見るだろうか?答えはNOだ。

そんなもん他のサイトにも載ってる情報だろうし、わざわざお金を払ってまで見る価値はない。

 

ではそのライターの裏話というか、個人的な話を有料で見るだろうか?

これも答えはNOだ。元々興味を持ってるのは、彼が書くテック系の情報であり、個人的なことには興味がない。

つまり、こういうパターンだと、課金への以降は相当難しいと感じる。

 

時代は広告から課金へと移ろうとしているが、この移行が出来るのは限られた プレイヤーだけだろう。

 

スマホアプリも今は広告オンリーで大丈夫だが、早めに課金は導入した方がいい。

課金アプリと広告アプリでは、作り方や考え方も異なるので、ここのシフトは重要だ。

 

Thought Experiment

 

20代の頃からだと思うが、思考実験を繰り返すのが好きだ。

例えば「世の中金だ」と思い込んでみる。それまでは「金が全てじゃない」と思ってたとしたら、あえてその反対をいってみるのだ。

それで1ヶ月くらい暮らしてみると、色んな発見がある。

 

人と話すときも、「やっぱ金じゃね?」ってキャラになるので、それまでとは違った話が出来て面白い。

当然、前とは違った主張になるし、思考実験中であることを告げるわけではないので喧嘩になる。

「お前の考え方は間違ってる」みたいなことを言われるが、そのときはそのキャラになりきってるので構わない。とことんやるのだ。

 

こういうことを繰り返してると、自分の中に幅が生まれる。

考え方に柔軟性が出てくるので好きだ。

 

今日までずっと定期的に繰り返してるのだが、今やってるのは「得意を伸ばす」という思考実験だ。

正直、今日までの人生「得意なこと」っていう表現が好きではなかった。

それらは言い訳に使われることが多いからだ。

 

文系理系もそのひとつだ。

私は高校に通ってないので、自分がどっちかさえ分からないが、みんな決まってこれを言い訳に使う。

「私は文系だから〜」みたいなやつだ。

 

得意はそっちなんで、苦手な方は分からんて意味だろう。

他にも「体を使う仕事が好き(得意)」とか「頭を使う仕事がいい(得意)」みたいな話もある。

人間、そこまで能力は偏ってないと思う。その気になれば、大概のことは出来るだろう。

 

なので今日まで「得意を伸ばす」って考えは持ったことがなかった。

でも試しにそういうマインドセットにしてみると面白い。

子供に対する接し方も変わるし、周りの人間に対しても同じだ。

 

ようは、その人のいい部分にフォーカスするようになるのだ。

この実験は始まったばかり。あと4週間くらい続けてみようと思う。

 

身内は身内、よそはよそ

 

人生なんてもんは、自分が変わらない限り変わらない。

周りの環境や境遇も、自分が変わることで変化していく。

 

そういう意味では、他人の愚痴や恨みつらみを言うことほど、無駄なものはない。

そんなもんを連呼する人生はクソだと思う。

 

会社にいれば、上司や部下の愚痴を言いたくもなるだろう。もちろんそれは分かる。

「嫌なら会社辞めればいいじゃん」て話もあるが、そう簡単なものではない。

組織にいる以上、どうしたって人への不満は出る。

 

しかしどこまでいっても、他人は他人なのだ。

自分ではコントロール出来ない。コントロール出来ることに限界がある。

なので、「身内は身内、よそはよそ」ってマインドセットが重要だ。

 

自分の家族や仲間を大切にし、よそのことは放って置くくらいでちょうどいい。

人間誰でも欠点はある。なので、他人に対してあれこれ言うもの野暮だ。

そんな時間があれば身内を大事にして生きていくのがいいだろう。

 

身内は身内、よそはよそ。

 

こういうマインドセットを持つようになってから、人生が楽になった。

 

我想过不带手机

 

こないだiPhoneのバッテリー交換をするべく、新宿にあるAppleStoreへ行った。

それで実際に交換が終わるまでの1時間半くらい、スマホなしで街を徘徊したんだが、もうビックリするくらい不便だった。

 

まず自転車で行ったんだが、これをどこに置いたらいいのか分からない。

AppleStoreの前に自転車置きっぱなしも怖かったので、駐輪場に置こうと思ったのだが、その場所が分からないのだ。

普段ならGoogleマップを使って秒で調べてることが出来ない。

 

とりあえずラーメン食べて、ビリヤードでもしようと思ったら、偶然ビリヤード場の前に自転車のコインパーキングがあった。

2時間まで無料。区がやってるパーキングらしい。

 

しかし肝心のビリヤード場が営業時間外だった。開店してないのだ。

しょうがなしに開店してる店を探そうと思ったが、またもスマホがないので分からない。

昔に通ってた店を歩いて回ったのだが、閉店してるところも多かった。

 

歩いてる最中に、今度妻と一緒に来たいようなところも見つけたが、写真が撮れない。

オシャレな店を写真に収めたいのに出来ない。当然妻にLINEも出来ない。

 

スマホがないだけで何も出来ないことに気が付いた。

10年前はスマホなしでも全然遊べたはずなのに、今は全部がスマホになってると感じたのだ。

 

ここでどう考えるかだ。スマホ依存をやばいと思うのか。それともしょうがないと思うのか。

私は当然後者だ。世の流れには逆らわない。みんながスマホを触ってるのなら、スマホアプリを作って仕事にする。それが賢明だ。

水は低きに流れる。自然の流れに逆らってまで、何かを得ようとは思わない。

 

新宿をスマホ無しで散歩しながら、そういうことを考えた。

 

嫌なことをしないためにはどうするか

 

アプリ開発なんてもんは、続けられるかどうかが生命線だ。

続ければ成功するし、やめたらそこで失敗だ。

なので、どうやれば続くかを考えるのが正しい。

 

個人的には「嫌なことをしないためにはどうするか」から逆算するのがおすすめだ。

例えば私は、アプリの宣伝をするのが嫌いだ。営業みたいなことは、死んでもやりたくない。

とすれば、「宣伝をせずにアプリを売るにはどうするか」から逆算することになる。

 

作ってストアに置くだけでアプリがDLされる。そういう状態になれば楽だろう。

逆に、作るたびに嫌々ながら宣伝し、それでDLされるようになっても、心は疲弊していくばかりだ。

なので私は、「宣伝しないためにどうするか」から逆算した。

 

答えはASO。アプリストアの検索で上位に出れば、それだけで適当にDLされるようになる。

自ずとツール系が多くなるが、それも自分にとっては正解だった。

 

このように、嫌なことをやらないためにどうするか、から考えるのはおすすめだ。

こうすることで、対象物を長く継続出来るようになる。

 

継続さえ出来れば、成功は時間の問題だ。

 

フォーカスするべきはコンテンツでなく自分

 

アプリでもゲームでもいいが、気持ちを入れて作りすぎてしまったばかりに、それが自分と同化してしまうことがある。

ようは、「アプリの評価 = 自分の評価」になってしまうということだ。

 

アプリのDL数が少なければ、自分が世間から無視されてると感じるし、レビュー評価が低ければ、自分が否定されてる気にもなるだろう。

実際に、この手の人を見かけることがある。渾身のゲームないしアプリが不発で、めちゃくちゃに落ち込み、何なら一気に廃業まで行ってしまうパターンだ。

これは非常にもったいない。というか、フォーカスする場所を間違えていると思う。

 

フォーカスするべきはコンテンツでなく自分。

常に自分の成長を軸にしていれば、そんなに落ち込むことはないだろう。

 

そのアプリを作る前の自分と作ったあとの自分。成長してるのは間違いなく後者だ。

こういう風に、成長にだけフォーカスしていれば、創作活動でつまづくことは少ない。

 

収益とか評価みたいな、自分がコントロール出来ないものにフォーカスすると、それはすぐダメになる。

運良くお金や評価を手にすることもあるが、それも水物だ。常に他人の手に委ねられている。

だから自分の成長にフォーカスすることが重要だ。

 

そこだけを見て、気長に活動を続ければいい。