ホーリーとChatGPTのブログ

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エキセントリック・スーパーアプリクリエイター / 総DL数: 200万 / リリース本数: 100本超 / iOS: http://apple.co/3m3HxSm / Android: http://bit.ly/3ma0liZ / Just release and pray / とにかくリリースしてあとは祈れ / Twitter: https://twitter.com/gevvoihorry

手前ではなく奥を見る

 

人生において、自分の特技、資格、経験は役に立つ。

しかしこれらも、時として自分の足を引っ張ると思う。

 

何事も目的から逆算して考えるべきだが、上記の3つを意識すると、自ずと手前から考えてしまう。

 

〇〇が得意だから。

△△の資格を持ってるから。

□□の経験を活かしたいから。

 

どれもよく聞く言葉だが、一度立ち止まって考えた方がいい。

それは自分の目的に沿ってるのかと。

 

目的から考えた結果、今何をするべきかが決まる。

常に奥(目的)から考えるべきであって、手前(手段)はどうでもいいのだ。ここから考えを始めてはいけない。

 

年齢を積み重ねるごとに、自分に出来ることから考えてしまうが、それはちょっと違うと思う。

何をしたいのか、どうなりたいのか、から逆算して、今を決めればいいのだ。

 

身軽でいることの大切さ

 

人生も中盤に差し掛かると、身軽でいることの大切さを痛感する。

組織、お金、実績。そういうものに縛られて、自由に動けない人も多いだろう。

もちろん家庭も、付き合い方によっては自分を縛る要素になる。

 

さらに付け加えたいのは、自分の「得意」だ。

「俺はこれが得意」みたいなものも、状況によっては自分を縛る。

人生が順風満帆だったらいいだろう。しかし上手くいかないとき、自分の得意だと思ってることが自分を縛り、柔軟な方向転換が出来なくなるのだ。

 

そういうのも引っくるめて、とにかくゼロベースの自然体でいたいと思う。

元々はガテン系。今はIT系。この先の自分がどうなるのか分からない。

しかし変なこだわりは持たない。とにかく自然体でいようと思う。

 

身軽でいることが大切だ。

 

ストアの記入で手を抜かない

 

スマホアプリってやつは、作り上げるのがめちゃくちゃ難しい。

どれだけ簡単なものでも「完成」となれば難しいだろう。

これは実際にアプリをリリースしたことのある人ならば分かってくれるはずだ。

 

特に気持ちの入ってる作品ほど、完成までの道は長く、出来上がったときには心身ともに疲れ切ってるのが普通だ。

そうなると、最後に待ち受けてるストアの記入作業がおろそかになる。

 

アプリストアの記入作業は、思ってる以上に大変だ。

タイトルやサブタイトル、スクショはもちろんのこと、他にも説明文やらプライバシーポリシー云々、とにかくやることは山盛りなのだ。

 

ここで手を抜いてしまう開発者がいる。

「俺はここまで良くやった。いいものを作り上げたのだから、ストアの記入がザックリでも売れるだろう」

そんなことを考えてしまうのだと思う。

 

しかしこれはダメだ。何ならここはアプリを作るのと同じくらい大切。

私もつい面倒くさくなってしまうときがあるが、自分を戒めつつ、必死に記入している。

 

ゲームは知らんが、特にツール系はASOが命。集客はASOが基本になると思うので、ここはマジで手を抜いてはいけない。

タイトルやサブタイトルに、適切なキーワードを含めるのはもちろん、アイコンやスクショにも、とことん向き合わねばならないだろう。

 

アプリを作ることが好きな人間ほど、ストアのあれこれは面倒くさい。

しかし、売れる売れないは、ここ頑張れるかどうかがデカいのだ。

 

鬱になる手前まで追い込む

 

成功しようと思ったら、自分を追い込むのが当たり前だ。

鬱になる手前まで追い込んで、初めて結果が出ると思う。

 

今どきは、人に対して「頑張れ」とか言わない世の中になってきてる。

「君は君のままでいいんだよ」とか「あえて頑張らない勇気」みたいな、訳の分からん言葉まで聞く始末だが、こんなもんクソ喰らえだ。

 

まあ、他人が頑張らない分には、こっちのリターンが増える一方だからいいんだが、それでもヌルすぎるので、何かを言わずにはいられない。

 

自分自身、そこまで成功してるわけではない。

「収入そこそこ&毎日が夏休み」って感じだが、ここへ来るまでには、かなり自分を追い込んできた。

ハッキリ言ってアプリは素人。今も大した技術力があるわけではない。

 

そんなボンクラが30歳から作り始めたのだから、とにかく時間を費やす以外ないだろう。

当時は毎朝2時に起きてファミレスで開発していた。

それから普通に仕事に行っていたので、毎日15時間は働いてたと思う。

 

2〜6時まで開発。7〜17時まで窓拭きの仕事。

そんなタイムスケジュールだった。

 

でもこれは「当たり前」のことだ。

もちろん、「俺頑張ってる」なんて思わない。

結果を出そうと思ったら、これが当たり前。

 

元々センスがあるとか、エンジニアでバリバリ活躍していたとかなら、もっとゆるくやっても結果は出るだろう。

しかし素人の中年男性が、「これからアプリ作ろうと思うんです〜」なんて状態では、どれだけ自分を追い込めるかが鍵となる。

 

まあ鬱にはなるよ。鬱になる手前まで追い込むのが肝心だが、普通は鬱になる。自分もそうなった。

だからと言って、適当な努力では100%結果なんて出ない。

 

成功しようと思ったら、どこまでも自分を追い込むのが当たり前だろう。

 

自己表現をしたい

 

自己表現をしたい。40代を迎えるにあたってそう思った。

しかしダメだ。それをアプリで表現しようとしたのだが自分には難しい。

 

大問題なのが、自己表現をしたアプリは売れないということだ。

私という人間は、それに耐えられないらしい。

 

自分を多分に盛り込んだアプリというと、かなりくだらないゲームになる。

そういうものは売れない。開発期間はそれなりに長くなるものの、リターンが全然ないのだ。

 

ゆえに自己表現をアプリでするのは諦め、こうやって文章を書くことにした。

しかし読み返してみても、私という人間の文章はつまらない。

正確には「思ってるほど面白い人間ではない」ということだ。

 

文章には、その人の人間性が全部出る。これをごまかせる人を、私は知らない。

そういう気持ちで自分の文章を読むと、変に真面目すぎる。

しかし自分の中から出てくるものはこれなのだ。

 

自己表現の先にあったものは「自分は真面目らしい」という発見だった。

花見のチャンスは有限

 

今年はお花見をすることが出来なかった。天候的に、出来る日が限られてたのはあるけど、それでも暇人なのでやれば良かったと思う。

お花見は粋な文化だと思う。花を見ながら酒を飲む。最高だ。粋とはこういうものだろう。

 

しかしいつでも出来るわけでない。桜が咲いてる時期。長くて半月。今年のように数日間しかチャンスがないときもある。

そんな貴重な花見を、人生であと何回出来るのか考えた。

今の自分は39歳。外で元気に酒飲めるなんて80歳が限界だろう。そう考えると、残り50回しかない。

 

1回をスルーしてしまったら、それは全体の2%だ。

 

花見のチャンスは有限。それも元々がレアな存在だけに、しっかり楽しんでいきたいなと思った。

ボケーっとしてたら、何もないままに人生が終わってしまう。

 

常に一定のペースで淡々と作るのが理想

 

こないだ日本語の単語学習アプリをリリースした。

普段は1〜2週間で何でも作るんだけど、これは2ヶ月もかかってしまった。

まあそのうちの半月程度は旅行したりとフラフラしてたんだが、時間がかかったのは確かだ。

 

そうなると、当然このアプリへの思いは強くなる。

英語、スペイン語、韓国語、台湾語繁体字)と、4言語にローカライズした。

これらのローカライズに時間がかかってしまったのだが、とにかく世界でヒットしてほしい。

 

しかしこうやってアプリに期待しすぎると、結果は良くない。

気持ちを入れ込みすぎたアプリは、往々にしてヒットしないのだ。

もっと気楽な気持ちで向き合うことが必要だと思う。

 

そもそもの話で、気持ちを入れすぎると、リリース後に脱力がくる。

何かをやり遂げた気持ちになって、一旦休憩モードになってしまうのだ。

これはよくない。

 

常に一定のペースで淡々と作るのが理想なので、抑揚が出てしまう時点で良くないと考える。

気持ちを入れて作ったのはいいことだと思うが、それに囚われすぎてはいけない。

 

「あれはあれ。これはこれ」の精神で、また一からコツコツとやっていきたい。